10.10.31 日曜日礼拝メッセージ

ダビデヨナタン」(Ⅰサムエル18:1〜5)

1.正しい者には苦難がある

 「女たちは、笑いながら、くり返してこう歌った。「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。」サウルは、このことばを聞いて、非常に怒り、不満に思って言った。・・・その日以来、サウルはダビデを疑いの目で見るようになった。その翌日、わざわいをもたらす、神の霊がサウルに激しく下り、彼は家の中で狂いわめいた。ダビデは、いつものように、琴を手にしてひいたが、サウルの手には槍があった。サウルはその槍を投げつけた。ダビデを壁に突き刺してやろう、と思ったからである。しかしダビデは二度も身をかわした。」(18:6〜11)

 「あらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦しているのです。すなわち非常な忍耐と、悩みと、苦しみと、嘆きの中で、・・・ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。」(Ⅱコリント6:4、8)

2.主は助け手を送って下さる

「サウルはダビデの家に使者たちを遣わし、彼を見張らせ、朝になって彼を殺そうとした。ダビデの妻ミカルはダビデに告げて言った。「今夜、あなたのいのちを救わなければ、あすは、あなたは殺されてしまいます。」こうしてミカルはダビデを窓から降ろしたので、彼は逃げて行き、難をのがれた。」(19:11、12)

ダビデは逃げ、のがれて、ラマのサムエルのところに行き、サウルが自分にしたこといっさいをサムエルに話した。」(19:18)

「マケドニヤに着いたとき、私たちの身には少しの安らぎもなく、さまざまの苦しみに会って、外には戦い、うちには恐れがありました。しかし、気落ちした者を慰めてくださる神は、テトスが来たことによって、私たちを慰めてくださいました。」(Ⅱコリント7:5、6)

3.ヨナタンはキリストを象徴する

ヨナタンは、自分と同じほどにダビデを愛したので、ダビデと契約を結んだ。ヨナタンは、着ていた上着を脱いで、それをダビデに与え、自分のよろいかぶと、さらに剣、弓、帯までも彼に与えた。」(18:3、4)

ヨナタンは父サウルにダビデの良いことを話し、父に言った。・・・サウルはヨナタンの言うことを聞き入れた。サウルは誓った。「主は生きておられる。あれは殺されることはない。」(19:4、6)
「したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。」(ヘブル7:25)